「ツイート、短縮の不思議」h3mインタビュー 言語脳科学者 酒井邦嘉 4/全4回
h3m:現代は、メールやツイッターなどデジタル・コミュニケーションの新しいチャンネルがふえています。そんな状況で言語はどう使われていくとお考えですか?
酒井:自分の仕事である科学的な研究においても、どんどん雑誌や論文が増えてきました。それに関わる人たちも増えてきたのは間違いありません。そんなときに、「いったいどうやって情報交換したらいいか?」ということが大きな問題になっています。実際問題として、我々の仕事のできる時間は限られています。これだけたくさんの論文の全部に目を通すということは不可能ですから、できるだけ早く検索できることが必要になります。たとえば、自分の分野に必要なことだけを調べるとか、長い論文の要約だけを読むとか、そんな状況になっています。
先日、論文を雑誌のウェブサイトから投稿して驚いたのは、アルファベット80文字の文で論文をまとめるように指示があったことです。論文の短いタイトルのようなもので、要点を表すのは至難の業です。しかし、入力しないと次のステップに進めない。そんなことを要求されると、「これは科学的な研究に反する方向なのではないか?」と考えてしまいます。そこで上手に書かないとふるい落とされてしまうかもしれません。一方、論文は多くの人に読んでもらうためにアピールすることも大切ですから、そこに気の利いた言葉を選べないといけない。それは難しいことです。
長い論文を書いたときに、短くまとめた要約も用意します。それも難しいことですが、さらに短くしてタイトルをつけるのは、もっと難しい。このように、短くして要点をまとめるということには、実はものすごく労力がかかるのです。短編の方が長編よりもっと原稿料をいただけるはずでしょう(笑)。
仕事ではそんなふうに考えているので、ツイッターなどで言いたいことを気軽に短くしていく傾向があるのに対して、僕はすこし不思議な感じがしています。
h3m:多くのツイートを見ると、人間関係に上手く機能しているのはポエティック(詩的)な内容が多い気がするのですが……
酒井:人間には想像力があるので、短い文や不完全な文からでも、いろいろと想像することで、読む側が内容を補うことができます。日本の俳句や和歌などの限られた字数の中に、その人の世界観を投入することすらできるわけですね。そう考えれば、短い文章というのもおもしろい。ただ、それを乱用してしまうと、不完全なものばかりが山のようにたまってしまう。エネルギーをかけたものと、そうでないもののバランスの取り方が難しくなります。
古い笑い話を思い出したのですが、ある王様が「古今東西のおもしろい話」を集めるように命令しました。家来が世界中を周り、10年たって100冊の「おもしろい話」の全集ができました。それを眺めた王様は「100冊は多いので、もう少し短めに」と命令しました。数年が経ち、今度は10冊の全集として完成しました。しかし王様は「やはり10冊でも多い」と不満を述べます。さらに数年して5冊になり、また数年して最後は1冊にまとめられましたが、その頃には王様は病に倒れ、余命もなく読むことはできなくなっていた……、という話です。短くすることに労力をかけすぎると本人にとっては意味のないことになりますね。
h3m:最後に、日々生まれてくる新しい言葉についてはどう思われますか?
若者の言葉が短くなっていくことだけに着目されがちだけれど、逆に増やしたり長くなっていく言葉もある。そんな変化を見落とさなければ、そんなに心配することはないでしょう。ただし、狭いコミュニティだけで通じることが言語のすべてであるかというと、それもまた違うように思っています。新しい言葉では、単語ばかりが目立ちますが、その意味の広がりや表現全体にも目を向ける必要があるでしょうね。
酒井邦嘉(さかい くによし)1964年、東京生まれ。1987年、東京大学理学部物理学科卒業。1992年、同大大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士。1995年、ハーバード大学医学部にリサーチフェローとして留学。1996年MIT(マサチューセッツ工科大学)で言語・哲学科客員研究員を経て、現在は東京大学大学院総合文化研究科准教授。『言語の脳科学』(中公新書)で第56回毎日出版文化賞受賞。他に『科学者という仕事』(中公新書)、『脳の言語地図』(明治書院)など著書多数。
インタビュアー 前田知洋(まえだともひろ)
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