クロースアップ マジック
濁点は、有りか無しか?
僕の肩書きは「クロースアップ マジシャン」。観客のすぐ近くでマジックを見せるスタイルのマジシャン。最近は、この肩書きで紹介されても「?」って思われることが少なくなったが、僕がこのマジックを仕事に選んだ頃は、一般の皆様には不可解な肩書きだったらしい。たとえば、インタビューなどを受けると、肩書きが微妙に変化していたことがあった。文字校正(発言の意図が変わっていなかの確認の原稿)が送られてくると、「クロー『ズ』アップ マジシャン」になっていたりする。「ズの濁点を取ってください」とお願いすると、「当社では外来語の表記の規定があって…」なんて答えが返ってくる。たしかに、「クローズアップ現代」(NHK)とか「クローズアップ ショット」(望遠レンズの大写し)なんて言葉をよく聞くから、濁点有りのほうが耳なじみがいいのかもしれない。
僕の場合は「肩書きなので」と何度もお願いすると、しぶしぶ、スの濁点がとれたりする。大きな新聞社やテレビ局などで使われ始めると、スの濁点は済し崩しで消えていった。
「近いマジック」という表記の歴史
僕がはじめて「クロースアップ マジック」という濁点なしの表記を見たのは、1974年に出版された松田道弘さんの著書の題名(なぜか、後に「即席マジック」に改名)。その頃は、トランプを使ったときは「カードマジック」とか、「テーブルマジック」がポピュラーだった。1978年の日本テレビ開局25周年のマジックの番組を見ると、当時のクロースアップ・マジック界のスター、トニー・スライディーニのマジックが「フィンガーマジック」なんて紹介されている。「クロースアップ」という濁点なし表記には、ちょっと時代が早かったのだろう。
英語では濁りが消える
この「クロースアップ マジック」という濁点のないカタカナ肩書きは、英語の発音に似せたもの。英語の場合、語尾に濁りがある言葉と他の言葉がつながると、最初の単語の語尾の濁音が消えることがある。"have to(〜すべき)"が「ハフトゥ」に似た音になったり、"close friend(親しい友人)"が「クロゥス フレンド」に聴こえる。
さらに紛らわしいのは、"close up the show(seはzに濁る)"という表現が、「ショウを(一時的に)終わらせる」という意味になる。英語圏では「クローズアップ マジック」と濁っていうと「マジシャンを休業した」と誤解されることもあるから困る。
マジック界のリトマス試験紙の時代
マジシャンの間では、「クロースアップ マジック(濁音ナシ)」と「クローズアップ マジック(濁音アリ)」という二つの発音を聞き分けて、相手のマジック人生暦を値踏みしていた時代があった。たとえば、マジックショップなどで誰かに初めて会ったとき、「キミのクローズアップは、まぁなんというか…」と、濁音で「ズ」を発音するエラそうオジさんが、じつはマジックを始めたばかりの人だったり、「クロースアップマジックってスゴいですねぇ」という学生風のオニイちゃんでも、マジックの洋書なんかをガンガン読むベテランだったり、なんて判断基準になっていた。まるで、小学生の頃に実験したリトマス試験紙(液体が酸性だと赤くなり、アルカリだと青くなる試験紙。昔はリトマス苔から試験紙の染料がつくられたことから、その名がついた)みたいに。
そんな言語による推測を勝手にしていたせいか、数年前にデパートのインフォメーション・カウンターで、「カルチェって、何階ですか?」って僕が聞いたら、お姉さんに「カルティエ……、でございますね」っていいなおされた。僕は「ありがとう」といったあとに、小さな声で「ちぇ!カルチェのほうが英語発音に近いのにさぁ」とお姉さんに聞こえないように負け惜しみをいったのは、ここだけの話(たしかに、フランス語では「カルティエ」のほうが近い気もする……けれど…)。
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