シカトの美学
「シカト」再掲
シカトというのは誰かを無視したり、とぼけたりする意味の隠語。昔は博徒(ばくと)が使っていたらしい。花札の十月の札の鹿の絵が横を向いていることから名付けられた。「鹿の十(しかのとう)」だから「シカト」。
以前にも似たことをブログにも書いたから、もしかしたら読んだことがある方がいるかもしれない。イジメやいたずらに使うことはダメだけれど、シカトをしたら褒められることがたまにある。
いわゆる近所ルール
日本では挨拶することが美徳とされているから、よく事件などがあるとテレビで顔にモザイクの入った隣人が「挨拶をキチンとする善い人で…」なんて、語るシーンがある。僕は万が一のことが、仮にあったとしても、やはり世間に「いい人」と云われたい。だから僕は人に会うと、できるだけ挨拶をするようにしている。挨拶の一言だと、「僕がキチンと挨拶をする好人物」であることを忘れられてしまうといけないので、「寒くなりましたねぇ」とか、「先日いただいた○○が美味しかった。ご馳走様でした。」なんて言葉をプラスして添える。
挨拶のバタフライ・エフェクト
ところが、街に出るとそのルールが通用しないケースがある。一見、挨拶は大事と思われがちだが、以下のようなケースもある。パーティなどで会った人に街角で再会して「あ、こんにちは。先日はどうも…」などと声をかける。すると、その知人の同伴者が、後で「さっきの人はどなた?」と尋ねられ、「以前、パーティでね……」と会話がすすむ。そうすると「なんでそのパーティに誘ってくれなかったの?」とか、「パーティがあったなんて聞いていない!」と知人の同伴者は気を悪くする。
もし「あぁ、近所の人でね…」なんて知人がお茶を濁したとしても、次の会話は、たいがい「お住まい、どちらでしたっけ?」なんて会話が続くかもしれない。プライベートなことを言いたくない人もいるし、住んでいる場所をいうのは(高級住宅街であっても、そうでなくても)気を使うことになるだろう。自分が知らない地名でも「え、それってどこですか?」とは相手は聞きにくいからだ。
なんか、風が吹けば桶屋が儲かるか、挨拶のバタフライ・エフェクト(ブラジルで蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻がおきる)みたいな話だけれど、こんなことは案外、起こることが多い。
シカトはリスクマネージメントか?
だから、街で人と会っても相手が1人のとき以外は声をかけない。知人の人間関係がギクシャクするよりも、知人に「もしかしたら、似た人だったのかも…」と思われたほうがリスクは少ないし、あとで恨まれることもない。
このルールは学生の頃に三島由紀夫のエッセイで知った。そのときは、「オトナのルールは複雑だなぁ」と感じた。しかし、このルールはリスクマネージメントというよりは、「相手のリスクを想像する」という、思いやりの話なのかもと……、思ったり、思わなかったり。
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