take it easy,go with the flow. #006
photo/ Hiroko
犬のララちゃんに教わったこと
ゴールデン・リトリーバーを飼っている。名前はララちゃん。7歳の女の子だ。犬の1年は人の7年に相当するらしいので、人間の年齢に換算すると、ララちゃんは50代の熟女ということになる。
ずっと人間の側にいるのに、言葉が話せない分、ララちゃんの空気(状況)を読む力は傑出している。犬好きの人を一瞬で見(嗅ぎ?)分けることができるし、私が居心地の悪さを感じていると、彼女も瞬時に察して緊張する。一緒にいる人と波長を合わせる才覚にかけては、誰もララちゃんには敵わないだろう。だから、犬は愛されるのだ。
ゴールデン・リトリーバーの寿命は14年ぐらいだという。以前は、それぐらいしか生きられない犬が可哀想だと思っていた。
しかし、ララちゃんはいつもハッピーだ。彼女は先のことを心配して思い悩むということがない。「明日はどうなるんだろう」とか、「これからどうしよう」といった、自分の将来に対する不安が一切ない。他者と自分を比べて落ち込んだり、自分の年齢やキャリアを振り返って自分を責めることもない(恐らく年齢という概念の自覚がない)。彼女の運命は私の手に委ねられているものの、思い煩うということがないのだ。
また、ララちゃんはネガティブな思いにとらわれることもない。時には誰もいない家で、一日中、待ちぼうけを喰わされることがある。恐らく彼女は一緒に外出に連れていってもらえなかったことに落胆するものの、一旦、受け入れ、諦め、ひたすら待つ。そして、遂に誰かが玄関のドアを開けた時、「どこに行ってたのよ!」とか、「私を放ったらかしにして、ひどい!」などと言って相手を責めない。それどころか、日照りの続いた土地に遂に雨でも降ったかのように、玄関先で歓喜の8の字ダンス(その場で8の字を描くように行ったり来たりする)を踊って、主人を迎え入れるのだ。
ララちゃんは何度か生死を彷徨ったことがある。4年前、ウェールズの山の崖の上から転げ落ち、お腹を切る大怪我をした。それから半年後、10匹の子供を妊娠し、1匹を除いて無事に出産したが、乳房の1つから入ったばい菌のお陰で死にかけた。昨年は交通事故で足首を骨折し、2ヶ月近くギブスを着け、不自由な生活を強いられた。
ララちゃんはその都度、見事に克服し、何もなかったかのように復活した。思ったより回復も早かった。病院のナースの話によれば、本人が自分に何が起こったかよく分かっておらず、多少不自由があっても健康な自分のイメージを失わないため、治りが早いそうだ。また、ララちゃんは嫌なことはすぐ忘れる。いつまでも誰かを批判したり、不満を持ち続けたり、トラウマに取り憑かれることもない。
ララちゃんにとって重要なのは、今現在だけ。過去も未来もない。しかもいつでも直球勝負。哲学者・西田幾多郎が『善の研究』で述べた「純粋経験」を実践している。つまり、常に「毫(ごう)も思慮分別を加えない、真に経験そのままの状態」なのだ。
もしも「永遠」が「時間」という概念を超えるものだとしたら、時間にとらわれないララちゃんは日々の「瞬間」の中に永遠を見出している。だから、ララちゃんは永遠を生きている。そう考えるようになった時、もう私はララちゃんを可哀想だとは思わなくなったのである。
テキスト:RICA
日本と米国で教育政策を学び、東京で文化交流の仕事に携わった後、99年渡英。執筆、経営、映画という3つの分野で活動中。今後はパリ(フランス)も新たな活動拠点に加わる予定。
写真:Hiroko
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