take it easy,go with the flow. #003
他人と触れ合うことからしか、生きる力は生まれない
フランス語と文化に触れたくて、ロンドンを離れ、3ヶ月間、パリに住んでいる。
語学の勉強は楽しい。それはまるで秘密の扉を開き、別世界へ飛び込むファンタジーに似ている。と同時に、最初は集中力を要するから激しく消耗する。
そういう意味では本サイトの酒井先生の文法中枢の話は、私にとって非常にタイムリーだった。加えて、パリでも『英国王のスピーチ』が公開された。現エリザベス女王のお父様、ジョージ6世が吃音症に悩み、それを克服した実話の映画化だ。
人生の出逢いや経験はそこから何かを学ぶために起こると私は考えているが、パリに来てからこの作品と巡り逢ったのも、どうやら偶然ではないらしい。映画を観ながら、言いたいことが山ほどあるのに、人前で緊張すると、何も言えなくなってしまうジョージ6世の悔しさが痛いほど分かった。人ときちんと対話できないことほど、この世で辛いことはない。それは世界から取り残されることを意味する。絶対的孤独。こんな感覚を思い知ったのは、英語を習い始めたティーンエイジャーの時以来。とりわけパリでは、発音がサマになっていないと、フランス人は平気で顔をしかめて、Quoi?(何?)なんて聞き返す。コミュニケーション手段を断たれた障害を持つ全ての人に共感する。
幸い英語を話せることが大きな救いだ。日本語を話すフランス人は見つけにくいが、英語を話す人ならどこにでもいる。しかも英語とフランス語には似通った表現も少なくないから、英語で考える癖がついていると、ハードルはかなり低くなる。It depends(場合による)が、Ça dépend、Not bad(いいかも)が、Pas mal、Out of sight, out of mind(去る者は日々に疎し)が、Loin des yeux, loin du coeurといった具合。
言語修得の最短方法があるとすれば、沢山間違えて恥をかくこと。恥ずかしい思いをすればするほど、その誤ちを決して忘れない。ただ、これも高圧的な集団の前だったりすると、ジョージ6世のように絶望的になってしまう。彼が腹心のライオネルだけに話すつもりでスピーチを行い、恐怖心を乗り越えたように、最初は気心の知れた先生や友達から始めるのがいい。ロンドンでは滅茶苦茶な英語を喋っている外国人も多いが、彼らは1〜2年で見違えるほど上達する。自分の意思を如何に伝えるかが重要であって、相手にどう思われるかなんて気にしないからだろう。プライドの高い人は言語修得が難しいかもしれない。これは語学に限らないかもしれないが。
思えば、同じ日本語を話しているはずなのに、相手が何を言っているのかさっぱり分からないこともあるし、心が通じないこともある。逆に、自分と似通った体験をしていたり、同じ問題意識を抱いている場合、全く異なる土壌や文化で育った相手であっても、強い親近感を覚えることがある。ロンドンに来て、そんな友達を得たことは何ものにも代え難い。
イギリス人はどこでも気兼ねなく知らない人と他愛ない対話をすることが多い。これは相手との心理的障壁を壊し、その場の空気を和やかなものにする。これに比べて、日本では他人と対話をすることが圧倒的に少なく、多くの行為が暗黙の了解のうちになされる。少し声を掛け合うだけで、緊張が解け、気持ちも楽になるのにと思うと、何とも勿体ない気がするのは私だけだろうか。
RICA
在英11年。ヴァージン・アトランティック航空のサイトに『RICAのロンドン日記 私の好きなイギリス』
と題してブログを執筆(2月を以て終了)。現在発売中のキネマ旬報『英国王のスピーチ』特集に「映画はこれまでイギリス王室をどのように描いてきたか」を寄稿。
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