オリジナルのマジック創作って、どういうこと?
●ディスカッション2からの続きです。
オリジナルマジックの秘訣って?
ジェイ・サンキーの「マテリアルフィクション」
前田 角矢さんのオーティスの新3原則をきいて『ジェイ・サンキー センセーショナルなクロースアップ・マジック』のあとがき「マテリアルフィクション」の中の「考えて、そして動け」という示唆を思い出しました。思いついたら、すぐにオリジナルって、やっぱり違う。
角矢 本来なら、新たに何かを創作するという作業は大変手間暇かかる作業のはずなんです。だからこそ、海外の優れた創作者たちの著作を読むと「自分の可愛い子供を独り立ちさせて嫁に出すようなもの」と書かれているんだと思うんですよね。そんな、簡単なものじゃない。
前田 つまり、妊娠期間が長く、つわりみたいな苦労もある。まさに産みの苦しみですよね。
鍛治中 そこまで苦しんで産んだ我が子なら、産んだ後に簡単にすぐ放り出せるわけがないですしね。
角矢 最近の「オリジナル」と呼ばれる商品や作品を見て思う事は、1つは「実際に人前で長い時間をかけて練ったとは思えない」ということと、もう1つは「思い付いたことだけを見せているだけじゃないか」という2点なんですよね。 それって、他の芸術形態からしたら、凄くお手軽なスナック程度のものにしか思えないんです。
なので、自然と食指が動かなくなっていくんですよね…。もちろん、マジックショップに行った時は冷やかしだけで帰る事はないですけどね!!(笑)
前田 僕は一時期、マジックショップに行くのが申し訳なくて…。トランプしか買わないから(笑)
鍛治中 私も本やノートが殆どですね。あ、最近はよく古いコインも買ってます(笑)
前田 サンキーの『あとがき』を読むと、武道における「心技体」って言葉が頭に浮かびます。『心』は「考えや思考」、『技』はスキルやテクニック、『体』は「実体」、マジシャンの場合でいえば、どれだけのことが実現できているかということ。僕はそこに良質のマジックを創作するヒントがあると思っています。
ボクが習っている居合道や合気道では、型(かた)に血を通わせるにはどうしたらいいか?ということを常に考えて稽古を受ける。これはサンキーが「マテリアルフィクション」のなかで述べている、「物や作品に生命を与える」という話に通じるものがあると思っています。さっき鍛治中さんがフライング・クイーンが良いとおっしゃったことときに、なにかピンときたんですよね…。
鍛治中 なるほど…天海さんの演技に何故これほど人々が魅きつけられるのか?という秘密に少し近づけたような気がします。
角矢 本書のあとがきにもあるんですが、結局人は血が通った生きているモノに対して興味を持つのであり、そこに価値を見つけ、心が揺さぶられるような感情の発露があるのだと思うんです。
鍛治中 天海さんはご自身の演技の中で、同じ笑顔でも喜怒哀楽といった感情だけでなくその場その時の情景までも表現されているんですよね。日本人が江戸時代から歌舞伎などの芸能で慣れ親しんできた「見立て」の要素が含まれているといいますか。
ちなみにここで言う「見立て」というのは、日常で使う「見て選んで決める」という意味ではなく、物体や動作に何らかの意味合い、言ってみれば物語を含ませている日本文化独特の趣向のことです。
前田 紙片をサクラの花びらに見立て、さらに雪に見立てるのと同じですよね。
鍛治中 仰るとおりです。天海さんはトランプのクイーンを「小悪魔的な女性」に見立てているような気がするんです。
前田 生命が求心力を持つのは、そのなかにボクらが普遍的に持っている自然原理が働いているからで、鳩を出すマジックが世界中で大流行したことも同じ理由だと思っています。「生命を生み出す」という出し物がマジックのエフェクトとして、もしくは、人間の発明として究極だと人々が思うのは、ある意味当然かもしれません。人が人工知能や鉄腕アトムに魅力を感じるのと同様です。
だったら、カップ&ボールの最後にヒヨコを出したらいいのか、というとそれも違う(笑)
角矢 確かに!(笑)
鍛治中 確かに!(笑)
角矢 1986年のニューヨークマジックシンポジウム東京大会でジェイ・サンキーさんの演技を見た時、ひっくり返ったんですよ。 その奇抜な現象、面白い演出、ご本人の上手さ、すべてが融合して本当に素晴らしいショウだったんですね。 一見するとただ風変わりなことをやるお兄さんだと思われがちですが、そうじゃない。実際は非常にバランスのとれたクロースアップ・マジシャンだったのです。 当時のサンキーさんなら、新たな時代のクラシックとして語り継がれる存在でした。 彼が凄いのは「面白さ」と「強烈な不思議さ」を融合させることに成功していたのです。面白い事をしようとして、はじめてあの超絶的な技術を開発していくのです。 彼は、面白いものを作ろうと自然に作品を組み立てていっているのです。決して奇をてらおうとして風変わりな事を人工的に作っているのではない。 なので、時間を経てもその面白さが風化しないんですよね。 しかも、自然に作品を組み立てていくので、邪念の無い凄く素直なマジックになって、誰でもすっと入りこめる。 この作品集では、そうした自然な作品形成のお手本のようなマジックがいっぱい入っているんですよね。
前田 たしかに、あのときのシンポジウムのスーパースターだった。
角矢 仰る通りです!こうしたことがあるからこそ、サンキーさんの作品を世界中のマジシャンが今でも演じられているんだと思います。
鍛治中 私が最初にジェイ・サンキーの演技を知ったのは、同世代の方なら大体そうだと思うのですが「エアタイト」からなんです。
エアタイト ジェイ・サンキー氏が考案した名作の1つ。1組のカードがビジュアルに風船の中に飛び込んでしまう作品。
鍛治中 彼の演技を初めて観たときに、現象の奇抜さとは裏腹にとてもナチュラルで無理のない手順の作品であったことに本当にショックを受けました。手順を組むうえで発生してくる様々な問題の解決法が、まるで水が流れるように美しくて野暮ったくないんですよね。創作においてこの美しさというのはとても重要だと思います。
大抵の場合、奇をてらった現象というのは演出や手順に強引なところが出てきて、いわゆる力技っぽくなりがちなのですが、サンキーの作品にはそういった力みが感じられないんですよね。演者が力む必要がなくマテリアルが自由に活き活きとしている印象なんです。やはり、彼の創作論で提唱されている、何らかの物体に命を吹き込むことで観客を惹きつける効果は確実に上がるという「マテリアル・フィクション」の考え方が基礎となっているのでしょう。そして、それこそが彼の作品から美しさを感じる理由なんじゃないかという気がしました。
角矢 バランス感覚が凄く良いですよね。
前田 マジックを創造するときにどうやって、それを実現したらいいのか?というとき、「本当の武器は人間の弱さである」を、サンキーは知っていたのだと僕は想像しています。だからこそ、あとがきの中で「ギミックを無効化する」なんて話がでてくる。仕掛けがあることがマジシャンの強みであり、弱点でもある。仕掛けを隠そうとするのか、共存しようとするのかで、マジシャンの幸せの度合いが決まってくるような気がします。
僕がGENIIに寄稿したTen sock in a bagは「マジシャンは本番前に緊張する」という人間の弱さをテーマに作りました。
残念ながら、GENIIのその号は完売しちゃったので、このディスカッションの読者の皆さまには、かわりに「ジェイ・サンキー センセーショナルなクロースアップ・マジック」をおススメします。クロースアップマジックにおけるルネッサンス期の天才マジシャン、ジェイサンキーの素晴らしい作品群が、とても読みやすい翻訳で解説されています。
角矢 私の好きなバンド、サカナクションのボーカル、山口一郎さんが「子供の想像力に大人の知恵と技術を入れたものは絶対に面白い」と仰るんですね。ジェイ・サンキーさんのマジックは、まさにこの言葉を体現していますよね。子供の想像力って、素直で邪心が無い。多分、そう作られた作品は、観客にも演じるマジシャンにも優しいものになると信じます。観客とマジシャンの間に新しい価値が生まれ、お互いがハッピーになれる。そのための秘密が、この作品集には詰まってると思います。
(2012年4月27日)
Tweet
ジェイ・サンキー
センセーショナルな
クロースアップマジック
[単行本(ソフトカバー)]
リチャード・カウフマン (著)
角矢 幸繁 (訳)
● amazonで予約する
ディスカッションで紹介させていただいた『「ジェイ・サンキー センセーショナルなクロースアップ・マジック』がAmazonのジャンル別で1位に。ご予約満員御礼!